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☆アメリカのウエスタンブーツファクトリーが世界中に良質のブーツを供給しはじめて、 すでに100年以上が経ちました、その有名なメーカーはほどんどテキサス州に集中しています。
(といってもテキサス州だけで日本の面積の3倍はあります。)
創業時、ジャスティンはスパニッシュフォート ノコナはノコナタウン トニーラマはエルパソ ルケーシーは サンアントニオと全てテキサス州の街です。
創業はそれぞれ違う街ですが、100年以上の時が経ち、各メーカーは 交流を持ち、良いところを吸収しながら、現在にいたりました。
その中で中心的な存在がジャスティンでいち早く 工場の合理化、ビジネスのインフラを整えました。そこからも、ジャスティンは良い商品を安価で提供する事を心がけているメーカーだと思います。
そのジャスティンの歴史は、、、、、、、
歴史
1879年 創業者のH.J.”JOE”JUSTIN(後はジョー ジャスティン)はインディアナのLafeyetteと言う町から放浪の旅に出ます、電車(トレインと言った方が
しっくりきますかね?)に乗り継ぎテキサスのスパニッシュフォートと言う街にたどり着きます。
その街で、ジョージャスティンは理髪店 で働きますが、仕事が合わずすぐにブーツ作りを近くのブーツショップで学びだします。
もともとセンスが良く 直ぐに、ジャスティン作、初めてのブーツが出来上がります。自信を得たジャスティンは、すぐに自分のブーツショップを開業しました。
このスパニッシュフォートが所在する、北部テキサスは現在でも牧畜が盛んな街で、だだっ広いハイウェイを走っていて、 横を見ると、また、だだっ広い農場で何千頭もの牛が走り回っています。「こんなに牛を走り回らせたら、歯ごたえがあるバーベキューが出来る
わ、、、、と妙に納得します。やっぱり焼肉は日本産の牛ちゃんが、柔らかくて一番ですね」 話はそれましたが、牧場で働くカウボーイから、ジャスティンは初めて注文をもらい、儲けた利益が35ドルです。しかしこの35ドルが、現在のジャスティン
の繁栄の原点となるのです。
1886年”ジョー ジャスティンは地元の医者の娘と結婚します。名前はアニーアレンです。 その頃のウエスタンブーツの購入方法は一度店に行き、足の採寸をしてから、ブーツ作りが始まると言う、フルオーダーです。
ですので何日かかったかかは、解りませんが、自分のブーツを手にするまで、かなりの時間を要したと考えられます。
ある夜、アニー ジャスティンはブーツ作りを手伝っていました。縫製をしながら、アニー ジャスティンは考えました。 「来店していただかなくても、足の採寸方法をマニュアル化して、お客様へそのマニュアルとオーダーシート
を送付すれば、来店する手間が省けるのじゃないかと」
早速アニーは、行動に移り、手書きの手紙とオーダーシートをテキサス州北部のいろんな農場へ送付しました。
それが、ヒットしてジャスティン ブーツは有名になったのです。まさに内助の功、NHK大河ドラマ「功名が辻」の”千代”みたいなもんです。
1908年ジョー ジャスティンの二人の息子がビジネスを手伝いはじめます。
ジョン ジャスティンとアール ジャスティンです。
ジョー ジャスティンは二人の息子を連れてジャスティン ブーツを宣伝しに、アメリカメキシコと旅行にでます。 今で言う営業出張みたいなものですか、、、、、
その苦労が実り1907年には35ドルの利益から創めた事業が巨大な利益を生むビジネスへと変貌します。 その時はアメリカだけではなく、オーストラリア、ブラジルや中南米、メキシコ、キューバと国を越えジャスティンの知名度が
アップしたのです。
1916年ジョー ジャスティンは健康を害し、息子に事業を譲り、1918年にこの世を去りました。
あとを引き継いだ息子たちは1925年に、フォートワースへ移転を決めます。何故ならスパニシュフォート は、やっぱり田舎町で、労働力、銀行、郵便局の規模が彼らのビジネスには小さすぎたからです。
ただ、その時彼らの妹のエニッド ジャスティンは、北部のノコナと言う町に残り、新しくノコナブーツと言うブランド
を立ち上げたのです。
1991年にトニーラマもグループの傘下に収め、今もブーツメーカーのリーダーシップを取っています。現在ジャスティン ブーツの指揮をとっているのは3代目のジョン ジャスティン ジュニアになります。
その話の中でおもしろいのが「私のおじいさん(ジョー ジャスティン)が死んだのは 私が2歳の頃でほとんど記憶がありませんが、ブーツ作りやビジネスの話を父親伝いでいろいろと聞きました。
ある時、店に2人の客が来てブーツを購入し、支払いをチェック(小切手)でしました。
しかしその小切手は換金不可能な小切手だったのです。その2人の客は、牛泥棒や強盗をする悪党で、後に捕まり絞首刑になります。
それを聞いたおとうさんは、わざわざ、彼らが吊るされている、Wichita Falls と言う街まで出向き、死体からブーツを取り戻してきたのです。」
アメリカらしい話だと思うのと、その後、そのブーツがどうなったのか気がかりでしょうがないのは、私だけでしょうか?
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