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☆これまで、世界中のいろんなメーカーが、またまた。いろんなウエスタンブーツを製造してきましたが、 これ程、アメリカはもとより世界中に愛されたメーカーはなかったのではないでしょうか?
また幅広い年齢層にも支持され 日本でも団塊の世代から、若い女性までウエスタンブーツと言えば「トニーラマ」と言うブランド名が浸透しています。
何故なら頑固なまでにトニーラマは職人の手作りにこだわり、頑丈かつ良質な革を使用したブーツは機能的にもデザイン的にも人々の心
を魅了したからです。
では、その世界的に有名になるに至る、トニーラマの歴史を少し紐解いてみましょう。。。。
歴史 1887年イタリア移民の子供として生まれたトニーラマは11歳で靴職人の叔父に弟子入り。
ニューヨーク州ほぼ中心にあるSyracuseと言う町で靴造りと靴のビジネスについてを学び出します。
1900年から1912年まで、トニーラマはアメリカ騎兵隊に靴修理職人として参加します。1912年、軍を退役し (日本が明治から大正にかわる時代です)トニーラマが25歳の時メキシコとの国境の町、
”エルパソ”に初めての靴修理店を開業しました。
この左のおっちゃんがトニーラマさんです。 その後だんだんとウエストテキサスの牧場主が革靴を履く時代になってきました。
その牧場主からブーツのオーダー をいただき、ビジネスを初めて1年目に20足のブーツを製造しました。
それが初めてのビジネスでしたが、その時のトニーラマブーツの品質が口コミで広まっていったのです。
1930年になるとその口コミの威力でテキサス、ニューメキシコ、アリゾナのウエスタンウェア ショプでは、トニーラマのブーツが入荷すれば、直ぐに売り切れと言う状態だった様です。
第二次世界大戦後、アメリカ政府が騎兵隊を削減した事により、修理の仕事は下降線をたどりました。 しかしながら、この時がウエスタンブーツ、トニーラマの黄金期の始まりの時だったのです。
ロデオなど、昔の西部のリバイバルブームがやってきました。すぐにトニーラマはブーツショップを 増やしました。
1948年トルーマン大統領を始め、政治家、映画スター、ロデオチャンピオンなどがトニーラマを履きだし トニーラマの名前は不動のものになったのです。
1970年まで靴作りとビジネスに突っ走ったトニーラマでしたが、 1974年、この世を去り彼の息子が事業を引き継いだのです。
もちろん、現在は全工程を職人一人で行うと言う事は行っていませんが、トニーラマの工場を拝見させていただいた時、 分業した作業の中にも職人歴何十年の人々が各工程を黙々とこなしています。
彼ら、ほどんどがメキシコからの移民か、その2世、3世ですが、その中にもトニーラマのスピリットが脈々と息ずいていると 見受けられました。
そのトニーラマスピリットが靴を越え、一つの芸術品にまでに高めた、理由だと思います。
よく、友達に変人扱いされますが、酒を飲みながらブーツを磨く事が私の趣味の一つです。
また、安物の靴は磨きがいがありませんが、良い革を使用した靴は磨けば磨くほど、良い味が出てきます。トニーラマを含め20足は持っていますが、実際履いているのは
4足くらい、後は磨いて飾っているだけで幸せと言う、他人から見たら「バカヤロー」な事をやってます。
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